『戦国サンガ隊』
音宇作
遠くの空が赤く染まっています。
夕焼け?いいえ、時刻はまだお昼過ぎ。しかも太陽の方角から考えるとあれは西ではなく北東の方向で、西京極との位置関係からどうやら上京、西陣辺りのもよう…
時は室町時代の文明九年。
京の都、五条大路と西京極大路の交差する辺りにある武家屋敷の広間には、身分の高そうな数人のお侍とひとりのお坊さま。車座になって何やら話し合っている声が聞こえてきます。
「うーむ、困ったものじゃ、もはやいくさをする理由などほとんどない。にもかかわらず、今も京のあちこちでは絶え間なく火の手があがり続けておるというありさま。何とかならんものかのう…」
さて、この武家屋敷のそばには古びた井戸があって、周囲を囲む木枠の陰に身を隠し、屋敷から漏れてくる声に聞き耳を立てているのが二人の人物…あ、いや一人と一羽。何とそれは、二十一世紀のサッカーJリーグチーム、京都パープルサンガ監督の柱谷幸一氏にチームマスコットのコトノちゃんではありませんか!
一体この二人…じゃなかったこの一人と一羽が何故ここに???
☆ ☆ ☆
それは二十一世紀、平成十八年の春に始まるお話。
「お疲れ!いい試合だったね」
お友達のパーサ君に声を掛けられて、コトノちゃんはにっこり微笑み返しました。
コトノちゃんは鳳凰の子供です。同じく鳳凰の子供のパーサ君と一緒に、京都のプロサッカーチーム、京都パープルサンガでチームマスコットの仕事をしています。そしてこの日、三月二十一日は二年間のブランクを経てJ1に復帰したサンガが、ホーム西京極のサッカー場に同じ紫をチームカラーとするサンフレッチェ広島を迎えて熱戦を繰り広げた日。開始早々斉藤選手のミドルシュートで先制するも、広島のエース佐藤寿人選手に2ゴールを決められ逆転される…しかしここで簡単にがっくりこないのがサンガの良いところです。次々と交代選手を送り込んで果敢に攻め続けた結果訪れたのが林選手移籍後初ゴールとなる同点弾! 惜しくもドローに終わったとは言え、試合後、J1の舞台に馴染みつつあるサンガの頼もしい姿に、サポーターたちは惜しみない拍手を送り続けました。(作者注=この試合はナイトゲームでしたが、物語の都合上、デーゲームという設定に変えています)
さて、こちらはそんな試合の興奮まだ冷めやらぬスタジアムの外。
暫くの間、観戦に来ていたちびっ子たちの相手をしていたパーサ君とコトノちゃん、
「じゃあまた、次のホーム戦で会おうね!」
言って大きく手を振ると、真っ赤な翼を羽ばたかせ自分たちの住む城陽のサンガタウンに向けてふわりと飛び立ちます。
西の空はきれいな夕焼け。眼下に暮れてゆく京都の家並みを眺めながら、二羽の鳳凰がちょうど十円玉のデザインで有名な宇治の平等院上空に差し掛かった時の事、
「あっ、いけない!」
コトノちゃんが素っ頓狂な声をあげます。
「紫の応援フラッグ、スタジアムに忘れてきちゃったワ。明日の応援練習に使うのに…ごめん、パーサ君先に帰ってて、あたし取りに戻るから!」
言うと、コトノちゃんは左の翼に高く角度をつけて急旋回、嘴を北に向け急いで西京極へと取って返します。
忘れたフラッグは控え室で見つかりました。
せっかく来たのだから熱戦の余韻をもう一度味わおうと、コトノちゃんはスタジアムの周りを歩いて一周することに。でも夕暮れの西京極公園は、観戦に来ていた人たちの姿も今はなく、時折行き会うのは犬を散歩させている人たちくらい。辺りは薄暗く、どこか祭りの後の寂しさといった風情が漂っています。
コトノちゃんがスタジアムの外、サポーターズシートの入り口と売店の間の少し奥まった辺り…そう、皆さんもよくご存知の、あのあまり誰も使ってない公衆トイレのある辺りです、あの辺って木が生い茂って暗くって、何だかまるで林の中にいるみたいな不思議な場所ですよね…に差し掛かった時、
「エッ?か、監督?」
そこには京都パープルサンガ監督柱谷幸一氏が、背広姿で悠然と佇んでいたのでした。
「でもどうしてここに?」
コトノちゃんの声に振り向いた監督は、
「やぁ、コトノちゃんか。うん、ホントに僕は一体、何故ここにいるんだろうね…」
謎のような言葉を言って、コトノちゃんに奇妙な話をしてくれました。
「…そう、僕が先日読んだ本にこんなことが書いてあった。現代物理学によるとこの現実世界、物質世界は非常に微細なひもの振動で出来ているんだってね。これを超ひも理論というらしいんだが、そこで僕は考えた。例えば前半、チームが攻め込まれた後、僕がハーフタイムに選手達に指示を与える。と、もしその言葉が選手たちの心と上手く共鳴すれば、彼らはまるで生まれ変わったような活躍をしてくれるよね。ところで言葉、これは物理現象としては音、即ち空気の振動だ。だからこの空気の振動が先の現実世界を作っている超ひもと共鳴したとき、ひょっとして何かとんでもない現象が起きる事もあるのじゃないかってね」
コトノちゃんが怪訝そうな顔で聞き返します。
「言葉が現象を引き起こす…?」
「そう、すなわち呪文とか」
言って監督はポケットからちいさな紙片を取り出しました。
「実はさっき、城陽に帰るバスの中でそんなことを考えながらちょっとウトウトとしていたんだ。するとこんな夢を見た…夢の中に鬼が出て来てね、今から言う呪文を西京極のこの場所に行って唱えろ、そうすれば過去へと続く扉が開かれるであろうって言うんだよ。僕はハッとして目が覚めると、何かに突き動かされるような気持ちで、急いでその呪文を書きとめた。そしてバスを降ろしてもらうと、矢も盾もたまらずタクシーに飛び乗ってここへやってきたって訳なんだ」
監督の話す突飛な話の内容にコトノちゃんはびっくり。スポーツ選手は時にプレー中にトランス状態になることがあるっていうけど、監督も勝負師として力を尽くした後だけに、気分の高揚がまだ治まらないでいるのかもしれません。
「で、これがその呪文なんだけどね」
監督の見せてくれた紙片にはこんな言葉が書かれていました。
REYSOLがずみのわかりほでわがおしにまかんしもろころむ
コトノちゃんが訊きます。
「このREYSOLって?」
「ああ、それは多分Jリーグチーム、柏レイソルのことじゃないかな。僕は昔、柏レイソルでプレーしていた事があるから、その点では確かに過去につながっている言葉といえるわけなんだが」
「カ、カシワ…」
コトノちゃんは鳥なだけにこの単語が苦手そう。監督が笑います。
「ははは、そんなにびくつかなくてもいいよ、でもコトノちゃんは鳳凰で体が燃えてるからさしずめ焼き鳥だね」
コトノちゃんが監督の背中をバシッと叩きました。
「もうっ、監督ったら!でもこの言葉って、呪文っていうよりは暗号って感じだワ。ふーん、レイソルがずみのわかりほでわが…」
「ああっ、コトノちゃん、声に出して読んじゃだめだ!」
その瞬間…
ビューッざざざざっ
突然風が捲き起こり、周囲の木々が大きくざわめきます。やがてそのざわめきは、どこから現れたのかコトノちゃんたちの周りを飛び交う無数の雀たちのピチチチという凄まじい鳴声と共に次第に音量を増し、その音響は耳をふさぎたくなる程。いつの間にか辺りは漆黒の闇となり、監督とコトノちゃんははげしい頭痛に襲われてとうとう気を失ってしまいました…
☆ ☆ ☆
頬に感じる暖かい日差し。
空に高くある太陽。
静けさ。
微かに漂ってくる血の焼けるような不快なにおい。
「ん?ここは…?」
気がつくとコトノちゃんの側には監督が倒れています。
「あっ、監督っ!監督、起きてっ!」
「う、うーん。あれ?一体どうなっちゃったのかな?」
周囲を見回すと、目の前には広いけれど殺風景な庭とその向こうに武家屋敷風の建物、背後は木で出来た塀。
と、その武家屋敷の廊下をやってくる複数の足音が…
「やばい、隠れよう!」
押し殺した声で言うと、監督はコトノちゃんの手を引いて近くにあった古井戸の木枠の陰に身を潜めます。
現れたのは刀を腰に帯びた数人のお侍と一人のお坊さま。広間に集まり車座になって何やら話し合いが始まりました。広間の障子が開けっ放しなのとお侍たちの声が大きいために、コトノちゃんたちにもその話の内容までがすっかり聞き取れます…
「で、何か良い案はござったかな?」
言ったのは迦祷大師と呼ばれるまだ若いが位の高そうなお坊さま、その名に似合わず小柄で敏捷そうな体つき。
「はい、蹴鞠ではいかがかと存じます」
これは別のひとりの、役者とも見まがう美しいお侍の返答。保志田伊助という名のようです。
「何?蹴鞠ですと?じゃがあれには勝ち負けなど…」
「はい、ですから普通の蹴鞠ではなく、勝ち負けのつく『いくさ蹴鞠』なるものを考案いたしまして…」
聞こえてくる話から分かったことは、京の町ではもう十一年もの間、細川軍と山名軍というふたつの陣営が東西に陣をかまえ戦っていて、町の北部は今や焼け野原。四年前に両軍の初めの大将、細川勝元と山名宗全が相次いで病死した後も戦いは意味もなく続き、近頃やっと治まる気配をみせてはいる。けれど下克上の世の中、若く血の気の多い雇われ足軽たちの、戦に決着をつけたく思う気持ちを抑えるのにお侍たちは一苦労、何とか血を流すことなく勝ち負けを決める良い案はないものかと、今ここに両陣営の若いお侍たちが話し合いの場をもっているという場面のよう。
監督が小声で言います。
「コ、コトノちゃん、大変だ、やばいよ。細川、山名の戦いといえば一四六七年に始まる応仁の乱だ。僕らは今、過去の世界、それも五百年以上昔の京都に来てしまったんだよ!」
「エッ、ま、まさかあ」
コトノちゃんにしてみれば、ここは京都の新名所、東映太秦映画村なのかな?くらいに思っていただけに、すぐには監督の言葉が信じられません。でも良く見ると確かにお侍たちの着ている着物の汚れ具合が妙にリアルで、監督の言葉もあながち間違いとも言い切れない気もしてきます…
「で、保志田どの、その『いくさ蹴鞠』とは?」
迦祷大師が問いかけます。
「左様、取り決めとしては、先ず普通の蹴鞠とは異なり鞠は地面において蹴る。身体の腕より先以外の部分で鞠を扱い、敵味方十一名ずつで相手陣内にある的の中に鞠を蹴りこんだ回数を競うもの。これに関してはこの屋敷の南、西京極大路と六条大路の交差する辺りに、戦火で焼けた縦六十間、横四十間の四角い土地があり申す。しかもここには、都合の良いことに四角の横辺の中央に対峙するかたちで地蔵堂があり、このお堂を鞠を蹴りこむ的となしては如何かと」
保志田伊助の返答に迦祷大師の顔色がさっと変わりました。
「何ッ、地蔵堂を的にと?何と罰当たりなッ!」
と、ここで比良稲尾人と呼ばれるこちらは古武士然とした風貌のお侍が口を挟みます。
「いやいや、大師様、地蔵といえば衆生を救う菩薩でござるぞ。勿論、中のお地蔵様は他へ移し、鞠を蹴りこむのはお堂のみ。これで乱が治まるなら菩薩たるお地蔵様も本望というものではござりませぬか?」
これには迦祷大師も一本取られたかたちで二の句がつげません。
さらに取り決めとして、的となるお堂の前には『手で鞠を扱うことのできる者をひとり配する』事。これは比良稲尾人が提案したのですが、何しろこの役割はお堂を守るわけですからやはり人望のある人物が務めるのがふさわしい…ということで、西軍側からは提案者である比良稲尾人が、東軍側は同じくこの場にいる精悍な風貌のお侍、河具内串勝がこの任につくこととなりました。(ところでこの二人、共に京に居を構える守護大名たちからの信頼が厚く、侍たちの間では『守護信』と呼ばれている人物たち。ここから、この役割の者が『守護信』と呼ばれるようになったのもごく自然な事といえるでしょう)
迦祷大師が言います。
「うむ、大体のところは決まったようじゃな。じゃが、わたしはどうも地蔵堂に鞠が蹴りこまれるというのが気に食わぬ。せめてその回数を減らす為にも、敵の陣のお堂の側の、敵が二名いる線より向こうにいる味方に鞠を渡そうとする事は禁じて、もしこれをした時には敵に鞠を与えねばならんという事にしたいのじゃが…」
これにはお侍たち一同も首をかしげます。保志田伊助が皆を代表するような形で口を切りました。
「これは大師さま、随分とややこしい取り決めにござりまするな。ですが大師さまのご意向とあれば我等に異存はござりませぬ。で、この取り決めにも何か名を与えておかぬと不自由と思われまするが、提案なされた大師さまに命名していただければと」
「ふうむ…」
迦祷大師も名前までは考えていなかったとみえて、何ということもなく庭に目を向けます。そして、その視線はコトノちゃんたちの隠れている井戸の方へ。
「あっ、危ないっ!」
監督が急いでコトノちゃんの頭を押さえました。
迦祷大師、その井戸に目を止めて、
「保志田どの、あの井戸は?」
「はい、あれはこの屋敷の賄いのお房婆さんがよく洗濯に使用しています古井戸ですが」
「ふむ、ではこれで決まりじゃ。先の取り決めは、あの井戸に因んで『お房井戸』と名づけまするぞ!」
かくして、日本最古のいくさ蹴鞠、即ちサッカーのルールがここに確立し、東軍のお侍たちは屋敷を後にします。庭に面した広間には西軍側の保志田伊助、比良稲尾人、そして迦祷大師の三人が残りました。
と、その時、
ヘ、ヘクショイ!
ここ数日、風邪気味だったという監督の口からついにくしゃみが。
「な、なに奴!」
サッと起ち上がった保志田伊助の鋭い声が飛び、比良稲尾人の右手が刀に掛かります。
「か、監督、どうしよう…」
鴨の川原には死体がゴロゴロしていたと伝えられる乱世、無断で屋敷に侵入した者などその場で切り捨てられてもおかしくはない状況。でもそこは百戦錬磨の知将柱谷監督です。まずコトノちゃんの頭に紫のサンガフラッグをすばやく巻いて頭巾のように顔を覆うと、身をかがめていた井戸の陰から立ち上がり、
「やぁ、皆さん、こんにちは」
手を振ってにっこり笑いかけながら、コトノちゃんも一緒に立たせます。
「ア、アワワ、か、監督ぅ…」
コトノちゃんがびっくりしてつぶやいたのを迦祷大師が聞きとがめました。
「何?カントクと申すか」
柱谷監督少しも慌てず、
「はい、私も大師さま同様、僧侶にて寛徳と申します。そしてこちらの紫の頭巾は琴乃尼」
「寛徳とな、はて、聞かぬ名じゃが」
「ええ、実は長らく明(みん)に渡っておりまして、つい先日、遣明船の折り返しにて帰って参りました」
さて迦祷大師、若いだけにこの言葉にはさすがに弱い。当時、僧侶の世界で明に渡っていたとは、今のジーコジャパンでいう欧州組のようなもの。この一言で国内組の大師はもとより後の二人のお侍も、監督が当時としては妙な服を着ていることや、頭を剃っていないことなど全てに納得してしまった様子です。
「それにしてもそのご両人が何故にこの屋敷の庭に?」
と、保志田伊助。
「はい、実はこちらの表を歩いていますと皆さんが『いくさ蹴鞠』のことを話しておられるのが聞こえてきまして、それで私は明でその戦法について多少聞きかじったものですから、何かお役に立てるのではないかとあの井戸の陰に控えておりました」
比良稲尾人が目を剥きます。
「な、何と、明には既に『いくさ蹴鞠』があると申されるのか」
「ええ、結構盛んだったりしますよ」
言って監督はコトノちゃんにウインクします。
保志田伊助が改めて監督の方に向き直ります。
「では、寛徳どの、お願いにございまする。どうかこの西軍にその戦法を教えてくだされ。和平のために行ういくさ蹴鞠、とはいえ武士たるものやはりやる以上は力を尽くして勝ちを取りに行かねば名が廃り申す」
監督は、その気持ち分かります、といった顔でゆっくり頷きます。
「もちろん、お手伝いいたしましょう。で、対戦の日時は?」
「左様、明日の夜明けと同時に」
「何ですと!明日ですか?」
これは大変。戦うメンバーに戦術を授けるにもこれでは時間がなさすぎます。
「直ちにいくさ蹴鞠に出る者たちを召集して下さい。日暮れまでの暫くの時間を練習と戦術伝授に使いたい」
「仰せの通りに」
監督の一言に保志田伊助がさっと立って広間を後にします。
暫く後、屋敷の広い庭には西軍の傘下にある雇われ足軽、京の町の荒くれ男たちが次々と集まって来ました。その者たちの名は、まずリーダーシップで皆を牽引する大将役の覇雷、頑強な身体を持つ遊鷹に、身体の切れがシャープな犀頭、異人の血を引くという哺兎、阿黎、璃軽に禅坊主の滅珍など合わせて二十数名。西軍のいくさ蹴鞠メンバーとしてはここに先の保志田伊助、比良稲尾人が加わり、さらには関東で剣を修めたという上総から来た旅のお侍、早下家則も加勢することが決まっています。
皆が庭に結集したところで監督が口を切ります。
「では、まずこの軍は皆、紫色の着物を身に着けることで敵軍と区別する事とし、その名を『サンガ隊』と名づける。サンガというのはお釈迦様の国、天竺の言葉で…」
「『仲間』という意味ですじゃ」
迦祷大師が後を引き取って言いました。お坊さまだけあって大師にはサンスクリット語の心得があるようです。
さてメンバーも揃い、いよいよ監督から皆への戦法伝授というまさにその時、
「…ひ、姫様、成りませぬ」
「ええい、爺、止めるでない!」
かん高い声が響いて、突然、広間の襖が開かれたと思いきや、奥から年の頃、未だ十四、五、六くらいの娘が飛び出して来ました。華奢な身体に切れ長の目、簡素な着物を着てウェーブのかかった長い髪を後ろで無造作に束ねていますが、その顔にはどこか高貴な美しさというものが漂っています。
「わたくしもこのいくさ蹴鞠に参戦するのじゃ!」
監督の傍にいた比良稲尾人がそっと耳打ちしたところによれば、娘はこの時点で西軍の大将となっていた足利義視の血筋の者で名は澪。室町の屋敷を戦火で焼け出され、現在お付の者たちとともにこの屋敷に身を寄せているとの事。
澪姫が監督の前に進み出て訴えます。
「寛徳どの、経緯は先程から奥で聞いておった。わたくしとて武家の娘じゃ。お家の一大事に黙って大人しゅうもしてはおられぬ。是が非でもこの澪をいくさ蹴鞠に、西軍のサンガ隊に、どうか、どうか使うてたもれ!」
…夜明け前。
東の空が次第に白み始めると、シルエットとなって浮かび上がる東山の山並みを背に、西京極大路のそばの大きな長方形型の焼け跡を目指して、京の荒くれ男たちがひとり、またひとりと集まってきます。
北と南を背に対峙するふたつの地蔵堂の裏辺りには、すでに西軍東軍それぞれを応援する京の町衆が陣取っており、揃いの紫の衣を身につけた西軍側の応援の先頭に立つのは、もちろん紫頭巾で顔を覆ったコトノちゃん…じゃなかった琴乃尼。
♪いざ往かん、胸を張りて、紫の勇者ども!
やがて誰かが応援の詩を吟じ始めると、まわりの皆は紫の手拭を高く掲げ、それに倣って唱和します。
さて、西軍サンガ隊を応援する町衆の間で、特に貴賎を問わず町娘たちに人気の高いのがイケメン侍、保志田伊助。
♪保志田伊助、お、おう、おう!
彼への応援詩が吟じられる時には、町娘たちの唱和する黄色い声もひときわ高くなるようです。
「伊助さま…」
監督に参戦を許され、襷がけでこの場に駆けつけた花も恥らうお年頃の澪姫。彼女の初恋のお相手もどうやら伊助のよう。時代が変わっても、イケメン男性がモテる事に別段変わりはないようですね。
そして日の出。東山の山の端に太陽が顔を出すと長方形型の焼け跡に眩い曙光が走り、目付け役(主審)が高らかに法螺貝を吹いていよいよキックオフ!
「ウオーッ」
鹿皮で作られた蹴鞠用のボールが動き出すや、雄叫びを上げてそのボールに群がるのは近代サッカーの基本などまるで知らない東軍の選手たち。その大混乱の中、ボールを奪った犀頭が人垣の僅かな間を縫ってパスを出す。そこへ走りこんだ哺兎がそのまま地蔵堂へ独走…というところで法螺貝がブオッと鳴り、
「お房井戸!」
目付け役の叫ぶ声が焼け跡に響き渡ります。
さて、序盤こそ守護信の河具内串勝を除く十人が皆一斉にボールを追っていた東軍でしたが、そこはいくさに慣れた者たちのこと、間もなく各人の役割分担も自然と決まり、暫くすると四角い焼け跡(ピッチ)上での動きには、次第にサッカーらしい雰囲気が漂ってきます。
もちろん押し気味にゲームを進めているのは柱谷監督率いる西軍サンガ隊。
左サイドを受け持つ澪姫がボールを受けるや、
「伊助さまーっ、澪の蹴る鞠、受けてたもれーっ」
案の定、パスは愛する右サイド保志田伊助の元へ。しかしこれが中々に効果的なサイドチェンジとなり、伊助がダイレクトで折り返してセンタリング、これに高さのある遊鷹が頭で合わせてシュート!。しかし惜しくもボールは串勝に横に飛ばれてキャッチされてしまいます。
比較的小柄なメンバーの多いサンガ隊に対して、東軍の地蔵堂前には身の丈六尺を超える三人の屈強な足軽たち、川崎のディフェンダー並みに巨大な壁を築いていますが、早下家則や哺兎も右に左に走り回ってゴールを狙う、しかしまだ得点には至りません。そして時には、西軍が攻め込まれることも…。
その西軍の地蔵堂前に陣取ってゴールを狙うのが、割れ鉦のような大声で説法してまわるところからこの名がついたという東軍のストライカー、やくざ坊主で山伏の銅鑼言狗坊。
サンガの守護信、比良稲尾人の守る地蔵堂へゆらりと迫るその姿は、ときに着物の袖から垣間見える二の腕に彫られた竜の刺青と相俟って迫力満点。尾人のファインセーブで失点には至っていないものの、狗坊のシュートが地蔵堂の木枠を叩くこともあって、決して油断はしていられません。
それにこの勝負、実はサンガ側に不利な条件がひとつあったのです。それは地蔵堂の間口大きさ。尾人の守る西軍側地蔵堂の間口がほぼサッカーのゴールマウスと同じ大きさであるのに対し、東軍側のそれは明らかにひとまわり小さい。
ゲームはもちろんハーフタイムもなければコートチェンジもなし。どちらかが「参った」と降参するまでは、日暮れまでも続くというまさにいくさそのもの。つまりサンガはひとまわり小さな地蔵堂目指して、えんえんと攻め続けなければならない事になる…誰がこの不公平を画策したのかと思い巡らせば、これには、時の西軍の大将、足利義視と対立関係にあった猛女、日野富子の影さえ見え隠れしています。
「うーむ、中々に攻め切れぬものじゃ」
焼け跡の脇(ピッチサイド)で、ヘッドコーチよろしく監督と並んで戦況を見守っていた迦祷大師が、思わず腕組みをしてつぶやきます。と、監督が思いがけない言葉を返しました。
「大師さま、参戦してみませんか?」
「な、何ですと、わたしがいくさ蹴鞠を?」
「ええ、大師さまはお見受けするところ小柄で小回りが利きそうな体つきをしていらっしゃる。大師さまならこの膠着した状況を打開できるのではないかと思うのですが」
「じゃ、じゃがわたしには、とてもそのような…」
一度は否定しかかったものの、もはや大師の心は臨戦態勢。柱谷監督から若干の指示を受け、法衣にキリッと襷を掛けて焼け跡に向け走り出すと、
おうおう、迦祷大師、往け往け、大師!
西軍の地蔵堂裏からは応援の町衆たちが、すかさず大師の気持ちを鼓舞する応援詩を吟じます。
さて右サイドに入った大師、入るや否や早速同じ僧侶の滅珍からパスを受け、ドリブルを繰り返しながら走る、走る!
東軍の屈強ディフェンダーが止めに来るも相手の重心を外してちょこんとかわし、中央にパスを放り込む。と、これを早下家則が胸トラップ、ぽとりと落ちたところへ横にいた異人系フォワード哺兎が利き足とは逆の右足を振りぬき、ボールは河具内串勝の横を抜けて東軍地蔵堂の中へ…
ゴーーーール!
(エッ?途中からは最近どこかで見た場面みたいって?いえいえ、そんなことはありません。何しろこれは五百年以上前のお話なのですから)
日本サッカー史上初のゴールに西軍地蔵堂裏は大興奮!
♪サンガ剛剛、サンガ剛剛、サンガ剛、剛、剛!
紫の手拭がちぎれるように振られ、抱き合う町衆に飛び上がって喜びを表す農民や足軽たち。
いくさ蹴鞠、即ちサッカーという競技は得点が入りにくいだけにゴールが決まった時の観衆の興奮は大変なもの、これは裏を返せば点を入れられた側の悔しさ、落胆、そして怒りの大きさをも意味します。
「クソッ、こんな蹴鞠で、十一年間戦ってきた乱の決着がついてたまるものか!」
東軍の地蔵堂裏で誰かが立ち上がって叫ぶと、
「そうじゃ、そうじゃ、血が流れてこそ本物のいくさというものじゃ!」
あちこちから賛同の声が上がり、とうとう東軍を応援していた町衆や農民、足軽たちが焼け跡(ピッチ)に乱入。
東軍側の地蔵堂を取り囲み、打ち壊したかと思えば火を放つ。ついには大挙して西軍側にまで押し寄せて来ようとする、その様子はまさに土一揆。
「危ない、逃げ申そう!」
保志田伊助が叫び、サンガ隊は退却。コトノちゃんも急いで地蔵堂裏から逃げ出そうとしたその時、
「困ったお人たちじゃのう。わしはいくさはもうこりごりじゃ」
背後からしわがれた声が聞こえ、コトノちゃんが振り向くや、そこにいたのは無精ひげを生やした謎の老人。
コトノちゃんの顔に巻かれていた紫のサンガフラッグを引き剥がすと、
「ほれ、コトノちゃん、行きなされ!」
その背中をドンと押します。
「アワワワワ」
コトノちゃんは素顔をさらして東軍一揆のただ中へ、危うしコトノちゃん!
(もうこうなったら開き直るしかないワ!)
押し寄せる群衆に向かってコトノちゃんは両手を広げ、声を上げます。
「みんな!争いは良くないワ!」
その声の迫力に気圧され足を止めた群衆、コトノちゃんの姿を見てまたびっくり。
「おお、あれは鳳凰じゃ…」
「ほ、ほんに、まぁ…それにしても、あの火と燃える姿の何と美しく神々しいこと!」
と、ここですかさず迦祷大師が飛び出し、コトノちゃんの前に立ちはだかりました。
「左様、おぬしらの争いを好む荒れた心根を憂えて、この乱世に鳳凰が現れたのじゃ。ところで鳳凰は別名、極楽鳥と申す。言わばおぬしらは今、この鳳凰を通して極楽の様子を垣間見ておるのじゃぞよ。この世の旅路を終える時には、誰もが次には極楽に生まれることを願うもの。じゃが人を殺めることに何の痛痒も感じぬ畜生にも似た者には、極楽への扉は開かれてはおらん。さあ、地獄か極楽か、ここのところをようく考えてみなされ!」
さすがは大師と呼ばれているお坊様。即興で語った説法にも、群集はいたく心を動かされた様子。
図らずも場の主人公にされてしまったコトノちゃん、ここは迦祷大師の説法にふさわしく振舞っておくより仕方ありません。翼を羽ばたかせてフワリと浮き上がると、手塚治虫描くところの『火の鳥』みたいに高いところから群集に向かって呼びかけます。
「そう、迦祷大師さまの言うとおりよ。みんな仲良くしなくちゃいけないワ。汝ら互いに愛し合えって、お釈迦様も言ってますワよ、では、さようならぁー」
何か最後の言葉はキリストの言葉だったような気もするけど、それはともかく、有難いお言葉を残して鳳凰コトノちゃんは空の彼方へと飛び去りました。
(この日以後、京の町はいくさ蹴鞠場での神々しい鳳凰の出現のうわさで持ちきり。そのことが影響を与えたのかどうかは定かではありませんが、将軍家御台所、日野富子は足利義視に大乱の終結を願う書状を送り、ここに、京の町を焼き尽くしながら十一年間続いた応仁の乱も、終わりの日を迎える事と相成ったのです)
…日暮れ。
桂川の川べりを、監督とコトノちゃんがとぼとぼと歩いています。
「争いが終わったのはめでたしめでたしだけど、あたしたち一体どうやって二十一世紀に帰ればいいの?」
「うん…、たしか、事の始まりはあの呪文だったね」
監督に言われて、コトノちゃんがポケットを探ると、中にはあの呪文を書いた紙片がまだ入っていました。
「レイソルがずみのわかりほでわがおしにまかんしもろころむ」
取り出して声に出して読んでみましたが、今度は何も起こりません。でも、
「あっ!」
コトノちゃんが声を上げます。
「この『レイソルが』のあとのところ、『ずみのわかりほ』って、反対から読むと『ほりかわのみず』って読めるワ!」
すると監督も何か思いついたよう。
「む、ひょっとしてこれは…あのわらべ歌」
「え?わらべ歌って?」
コトノちゃんが訊きます。
「そう、コトノちゃん、『まるたけえびすに…』ってわらべ歌は知ってるよね?」
「うん、京都の通りの名前を北から順番にならべたものでしょ」
「その通り。ところで僕は京都出身だから知ってるんだけど、実はこのわらべ歌にはもうひとつ、別のバージョンがあって、あまり知られていないんだけど、通り名を東から西へならべたものもあるんだ。てらごこふやとみやなぎさかい…ってね。で、その歌の最後のほうは…むろころもしんかまにしおがわでほりかわのみず、つまり室町、衣棚、新町、釜座、西洞院、小川、堀川の水。ということは、この呪文は西の方から東の室町に向かって、わらべ歌をそのまま逆に読んでいることになる」
「そうか!だからあたしたちは室町時代まで…」
と、コトノちゃん。
「そう、それと最初の『REYSOLが』って言葉、これはきっと柏レイソルのことなんかじゃない、そうじゃなくてREYSOLはスペイン語で『太陽の王』って意味なんだ。だから『太陽の王が』という風に考えると…」
「太陽の王が西から東へ戻っていく…つまりバカボンのパパ!じゃなくて、時間を遡るって意味になるワ!」
「ということは二十一世紀に帰るには、わらべ歌を元通りの東から西の順に言えばいいことになるね。レイソルがむろころもしんかまにしおがわでほりかわのみず………」
木々のざわめきと雀の声。
そして闇…
☆ ☆ ☆
二十一世紀、二〇〇六年、夏。
コトノちゃんは今日も西京極で、お友達のパーサ君と一緒にサンガの応援に精を出しています。
春の日、監督と一緒に戦乱の世へタイムスリップして保志田伊助や比良稲尾人たちのサンガ隊を応援し、そしてまた現代に帰ってきた事が今となっては夢の中の出来事のよう。二〇〇六年のサンガも開幕当初は少しつまずいたものの、以後見事に立ち直り、今はJ1の舞台で順調に勝ち点を積み上げています。
そんなある日のこと、コトノちゃんは監督からある場所へついてくるように誘われました。蝉時雨のなかタクシーを降りると、そこは右京区にある古くて小さなお寺。
「ここの住職からちょっと変わったものを見つけたから見に来てほしいって連絡をもらったんだ。それがね、話を聞いてみると何だかコトノちゃんにも関係のあるものらしいんだよ」
寺の奥座敷に通され、住職が座机の上に古い木箱を置きます。
「つい先日、寺の押入れの隅から出てきたのですが、随分と古い物で、応仁の乱の時代のもののようです。ところが驚いたことに…」
言いながら木箱の蓋を開けると、中には色があせ、ぼろぼろになった紫の布。住職が取り出して広げると、何とそこには白く染め抜かれた『PURPLESANGA』の文字が…。
(あっ、これ、あたしがあの時顔に巻いていたサンガフラッグ!)
「奇妙でしょう?しかもこれは当時の高名な僧がたまたまこの寺に立ち寄って預けていったものらしいんです」
コトノちゃんが心の中で思います。
(その人って、あの、あたしの背中を押したお爺さんだワ…)
なぜかあのお爺さんはコトノちゃんが鳳凰であることを知っていて、皆の争いを止めるためにコトノちゃんを押し出したらしいことは分かっています。でもコトノちゃんにしてみれば、あんな危険な目に遭わされてやっぱり少しおかんむり。一体あれは誰だったんだろうと、ずっと思っていたのでした。
住職の話は続きます。
「それがね、この僧はとても有名で、お二人もよくご存知の方なんです。この木箱の裏にその名前が書いてあるのですが…」
「で、そのお坊様は一体誰なんですか?」
柱谷監督が訊きます。
「はい、当時の京都大徳寺の住職、一休禅師。即ち、とんちで有名な一休さんなんですよ」
(エッ、あのお爺さんが!)
コトノちゃんはびっくり。と同時に、一休和尚のあの無精ひげを生やしたどこかとぼけた表情や、「わしはもういくさはこりごりじゃ」と呟いていた優しい声音が思い出されます。そして、気がつくとコトノちゃんは、知らず知らずのうちに、(ああ、一休さんに、もう一度会いたいなぁ)と、何だか懐かしいような気持ちになっていたのでした。
(終わり)