『鏡の国のサンガ』
音宇作
 
 同点に追いつかれての後半44分、パウリーニョ選手のシュート球がゴールマウスに吸い込まれるや、
 「ウオーッ!」
 スタジアム全体に歓喜の叫び声が爆発します。
 時は二〇〇六年七月二十三日、西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場。
 京都唯一のプロサッカーチーム、J1京都パープルサンガのサポーターたちはこの日、強敵清水エスパルスをホームに迎えて、J2降格圏脱出へもはや一歩も引けない大切な一戦の始まりを、朝から降り続く生温かい雨にぬれながら、期待半分不安半分の気持ちで待っていました。
 日本中がジーコジャパンへの期待に沸いたドイツ・ワールドカップもあっけなく終わり、人々が、潮が引くように普段の生活へと戻って行ったこの時期…しかしそんな世間の空気とは裏腹に、サンガの選手たち、そしてサンガサポーターに取っては、この七月こそが勝負の月といえるのです。
 開幕当初でのつまずきから勝ちきれない試合が続いたJ1一年目のこの年、W杯中断期間中に外国人二選手の補強を断行したサンガでしたが、にもかかわらず中断明けの前節、前年のJ2時代には決して相性が悪くはなかった同じ昇格組のヴァンフォーレ甲府と対戦して、1対3で破れてしまっています。
 日も暮れて、雨粒が照明塔の明かりに霧のように浮かび上がる中、サポーター達の声援に送られ選手入場、そしてキックオフ…
 前半はサンガ、エスパルスともに惜しいシーンをたくさん作るも決定打を欠いて0対0のまま終了。しかしハーフタイムを挟んでの後半36分、補強外国人選手の目玉、FWアンドレ選手の左足からついにサンガ待望の先取点が生まれます。
 ところがその4分後、勝利への期待に沸く西京極に冷水を浴びせるような清水、久保山選手のゴールが決まってしまう。42分に相手のハンドで得たPKも先のアンドレ選手が外してしまいました。
 このまま引き分けに終わるのか…と誰もが思ったその直後、スタジアム全体から湧き上がる、ウオーッ!という怒涛のような歓声。
 そうです。我らがエース、パウリーニョ選手が見事、劇的な決勝ゴールを決めてくれたのです!
 喜びを全身で表しサポーター席へと駆け寄るパウリーニョ選手。左腕を高く曇った夜空に突き上げています。と…、
 祝福しようとスタンドで待ち構えるサンガサポーター達の少し手前で、パウリーニョ選手の足がぱたりと止まりました。見ると、口を半ばに開いて、突き上げていた左腕の、その先にある曇った夜空の高いところを呆けたように見上げています。スタンドのサポーター達もそれにつられるように空を見上げ始めました…
 パウリーニョ選手の視線の先、西の空にある『それ』は、最初、旅客機の明かりとも見える、厚い雲に遮られてぼんやり輝きながら移動する赤黒い小さな光の塊でした。と、思う間もなく、ぐんぐんスピードを上げながら大きさと輝きを増し、ついにはゴール裏端にある照明塔のほぼ真上辺りで雲を突き破ってその鮮烈な姿を現したのです。
 赤々と燃える、大型バスほどもある大きさの岩石の塊…地球大気圏の過酷な摩擦熱にも燃え尽きることなく飛来した宇宙の迷い子…隕石です。
 その隕石が、すさまじいスピードでピッチ上空をメインスタンド側からバックスタンド側へと斜めに横切ると、行く手にある雨雲は満月以上の明るさで赤く照らされ、その後を、キーン、ゴウゴウッと耳をつんざくような音響が追いかけます。
 やがて、隕石はあっというまにバックスタンドの向こうへ姿を消し、すぐに東の空に青い閃光が走りました。
 これは一体何が起こったというのでしょうか?
 昔から空に火球が現れるのは災厄の起こる前ぶれともいわれています。しかし、この壮大な光景を目にしたサンガサポーター達すべての心の中には、不思議なことに、このチームの今までの不調もこれで終わり、これからは何もかもが良い方向に向かうんだ、という明るい確信のようなものが残ったのです。
 そしてこの直後から数秒の間に、京都市内の広い範囲で隕石落下による震度二から一程度のゆれが観測されました…
 
   ☆       ☆       ☆
 
 「さて、皆さんは鏡をのぞいた時、まるでその向こうにこの世界とそっくりな、もうひとつの世界が広がっているように思ったことはありませんか?」
 テレビ画面の中から語りかけているのは、鏡を使ったマジックで最近ブレイク中のマジシャン、鏡のように光るサングラスがトレードマークのミスター・ミラック。このせりふは彼がマジックを始める前に必ず口にする決まり文句です。
 ここはサンガタウンの中にあるパーサくんとコトノちゃんの住家(子供同士なので一緒に住んでもまぁ問題は無いようです)。テレビに見入っているコトノちゃんに対して、パーサくんの方はサッカー雑誌の記事のチェックに余念がありません。
 「ねえ、パーサくん」
 コトノちゃんが話しかけます。
 「ミラックさんはこう言ってるけど、鏡の向こうって、この世界とそっくりそのままじゃないワよね。だって鏡の中は左と右が反対になってるワ」
 随分と細かいところにこだわってしまうコトノちゃんです。パーサくんはサッカー雑誌から顔を上げると、
 「うん、たしかにね、でも、左右を逆転させない方法もあるよ」
 言って、手近にあった手鏡をふたつ直角に組み合わせてコトノちゃんの方へ向けました。
 「ほら、こうすれば…ね」
 そう、学校では理科の得意なパーサくんの言うとおり、コトノちゃんが覗き込むとそこには左右がそのままの自分の顔が映っています。そして、これもミラックさんの魔法でしょうか、コトノちゃんにはその顔が、一瞬、鏡の向こうの世界に住むもうひとりの自分の姿に思えてしまったのでした…。
 あ、紹介するのを忘れてましたね。コトノちゃんというのは中国の伝説に出てくる不死身の火の鳥、鳳凰の子ども。で、パーサくんも同じくです。ふたりはプロサッカーチーム、京都パープルサンガの応援マスコットの仕事をしています。
 パープルサンガはおととし、J2リーグで優勝してJ1リーグに昇格。そして昨年は同じ昇格組の福岡、甲府と共に見事J1リーグへの残留を果たし、今年2007年、おなじみ紫地に白の入ったユニフォーム、一羽の鳳凰がデザインされた丸いエンブレムを胸に二季目のJ1リーグを戦っています。(えっ?ちがうって?いえいえ、この部分、書き間違いではありません…作者より)
 今季は美濃部新監督のもと、昨季のメンバーに加えて元日本代表のベテラン秋田選手と森岡選手、ブラジルからの助っ人チアゴ選手にC大阪から徳重選手、さらに甲府からは倉貫選手などの強力メンバーが加わり、J1優勝にも絡んでこようかという豪華布陣。ホーム開幕戦で対戦したジュビロ磐田にアンドレ、パウリ、アンドレ、パウリの4対0で快勝すると一気に波に乗り、その後も順調に勝ち点を積み上げて来ています。
 「あっ、もうこんな時間。行かなくっちゃ!」
 今日は土曜日で、夕方には京都パープルサンガがJ2時代からの宿敵、川崎フロンターレとホームで対戦する日。でもその前にコトノちゃんには大切なお仕事がまっていました。というのもコトノちゃんは今年からサンガレポーターの仕事もしていて(コトノちゃんのレポートは「コトレポ」と呼ばれ、これがなかなかカワイイと大評判!)、この日の午前中は、そのコトレポの取材で京都の中心街、四条河原町付近に立って道行く人にサンガについての街頭インタビューをする予定だったのです。
 サンガタウンを飛び立つと国道24号線に沿って北上。朝からいい天気で、うす青色の春風がコトノちゃんの赤い羽毛を心地よく撫でて行きます…えっ、赤い羽毛はわかるけど、どうしてうす青色の風なのかって?はい、これは別に詩的な表現というわけではなくて、実は一年ほど前から突然、地球の大気が、何故かほとんど気づかない程度のうすい青色を帯びるようになったのです。その理由については、現在、大学の偉い学者さんたちが色々考えているみたいなのですが、今のところはっきりしたことは全然判っていません…
 さて、くいな橋上空にさしかかったコトノちゃん。この後、河原町へは鴨川の上を上流に向かって飛べばすぐに四条大橋に着くのだけれど、今日はちょっと遠回りをして京都駅ビルの方へ来てみました。
 京都駅ビルは皆さんご存知の通り、奇抜にデザインされた建物の外側が光をよく反射するガラス張りになっていて、まるで鏡で出来たオブジェのよう。その窓ガラスに自分の姿を映して、コトノちゃんはおでこに結んだチャームポイントのリボンの位置を直します。
 と、ふと、横の方に目をやってコトノちゃんは、その駅ビルの窓ガラスが、ある場所ではへこんだ直角の形に組まれていることに気が付きました。
 「あっ、これって、さっきパーサくんが言ってたのと同じだワ」
 そこには左右が逆になっていない自分の姿が映っています。コトノちゃんはゆっくりと羽ばたいて、その正面まで移動しました。そしてそのまま、まるで鏡の向こうの世界に引き込まれるかのように窓ガラスの方へと顔を近づけて行きます…。
 
   ☆       ☆       ☆
 
 「んもうっ、パーサくんったら、笑ってないで信じてよう!」
 サンガタウンに、帰ってきたコトノちゃんの甲高い声が響きます。
 「ホントなのよう、本当に『京都サンガFC』って書いてあって、エンブレムのデザインも全然違ってたんだもの!」
 さて、これはどうしたのかと言いますと、つい数時間前、京都駅ビルの窓ガラスへと引き込まれるように近づいたコトノちゃん、そのまま窓ガラスにぶつかったはずなのに特にケガをすることもなく、気が付くと駅前バスターミナルの屋根の上に倒れていました。
 「ウウーン、あたし、一体どうしちゃったんだろ?」
 目をパチパチしながら起き上がります。
 ところが、そこからが奇妙なのです。
 急いで四条河原町まで行ってみると、
 「コトノちゃん、何やってたんだよ、遅いじゃないか!」
 高島屋の前では、デジカメを片手にコトレポのスタッフのおじさんが待ちくたびれてプリプリ。でも、コトノちゃんはそれどころではありません。
 「…あ、あの、あそこにある応援フラッグって…」
 皆さんもご存知の通り、この近辺、繁華街のアーケードを支えるすべての支柱には、サンガ応援のために紫色のフラッグが二本ずつ掲げられています。ところが、そのフラッグのデザインがコトノちゃんの知っているものとは全然違っていたのでした。
 スタッフのおじさんが言います。
 「ああ、全部新しいのに変わってるね、取り替えるの、大変だったろうなあ」
 「でもパープルサンガじゃなくて京都サンガFCって書いてあるワ…」
 「おい、コトノちゃん、何寝ぼけてんだい。今年からそのチーム名で再出発したばかりじゃないか」
 なんだか話がかみ合っていません。
 「再出発…?」
 「そうだよ。またJ2に落ちちゃったんだもの。再出発だろ?」
 「エーッ!そんなことないよ、去年サンガは福岡、甲府と一緒にJ1に残留して、今年の開幕戦だってJ1のジュビロ磐田に4対0で快勝したワ!」
 「あのね、ジュビロにヨンゼロで勝ったのは今年昇格の柏レイソル。でもってJ1に残れたのは甲府だけなの。もう一度顔洗って出直したほうがいいんじゃない?」
 「うん、そうする!」
 不安になって飛び立つと、コトノちゃんは東を目指して飛びます。
 (あそこに行けば…そうよ、東にある『あの場所』に行けば、きっと全部はっきりするに違いないワ)
 ……
 「でも、そこには何もなかったっていうんだね」
 今までコトノちゃんの話に耳を傾けていたパーサくんが口をはさみます。
 「ウン、そうなの。それともうひとつ、駅ビルの前で気を失ったそのあとって、いつもと違ってなぜか空気に青い色がついてなかったワ。それで何だか気持ち悪くって、もういちど駅ビルに引き返して例の窓ガラスに顔を近づけてみたの。そしたら、また引き込まれるような感じがして…」
 「それでさっき、帰ってきてすぐに『パーサくん!サンガって今もJ1だよね』って訊いたのか…まるでミスター・ミラックさんの言う『鏡の奥のもうひとつの世界』みたいだな」
 いつも元気なコトノちゃんも今はもう泣き出しそう。
 「ひどいよパーサくん。あたし、ホントのこと言ってるだけなのに笑うなんて…」
 パーサくんがコトノちゃんの肩に優しく手を置きます。
 「ごめん、笑ったりして悪かったよ。つまり、京都駅ビルの窓のところに、もうひとつの世界…『鏡の奥の世界』に通じる入り口があるってことなんだね。よし分かった、ホントは今すぐにでも、一緒に駅ビルに行って調べてみたいところだけど、もうスタジアムに行かないと試合前の出番に遅れちゃいそうな時間だよ。この調査はまた明日という事にして、さあ、気を取り直してスタジアムに出発だ!」
 二羽の子供の鳳凰たちは二階のベランダに出ると、さっと翼を広げて夕暮れが迫る茜色の空へと勢いよく飛び立ちます。その行く先はもちろん西京極…?ところが、ちがうんです!
 それは昨年七月の清水エスパルス戦の夜に始まるお話。
 その夜、京都山科の北2キロメートル辺りの東山山中に、ほぼ大型バスほどもある大きさの隕石が落下しました。隕石は山林をなぎ倒して山肌をえぐり、落下による衝撃は京都市内全域で軽い地震を感じるほどでしたが、幸い辺りに人家はなく、落下地点がすり鉢状の谷であったのと、降り続いていた雨のおかげで舞い上がった砂埃もすぐに治まって、山林もほんの一部、ほぼサッカースタジアムがすっぽり入るほどの広さを焼いたにとどまったのです…
 エッ?スタジアムがすっぽり入る?
 そう、サッカースタジアムがすっぽり入る大きさ!
 おそらくこの言葉を聞いて冷静で居られるサンガファンは一人もいないことでしょう。
 「東山のクレーターにサッカースタジアムを!」
 この日からサンガサポーターによる猛烈な署名活動が始まりました。しかも、J1パープルサンガも、あの清水戦を境に千葉戦、大宮戦と憑き物が落ちたように勝ち続け、八月に入ってガンバにも土をつけるともう人気はうなぎのぼり!こうなると次の年に選挙をひかえている京都の議員さんたちも重い腰を上げずにはいられなくなってきます。
 工事はトップスピード時のパウリーニョみたいにすさまじいピッチで進み、開閉式ドーム屋根を持った新スタジアムが晴れて完成にこぎつけたのは翌年(つまり今年)二〇〇七年の二月。J1リーグを中位の戦績で終え、見事残留を果たした京都パープルサンガの二年目の船出に何とか間に合ったのでした。
 J開幕の三月三日、記念すべき開幕試合に先立ってのセレモニーでは、超大型オーロラビジョンを通じてフランスの「あの人」からのちょっと無愛想なお祝いメッセージも紹介され、京都太秦出身の世界的指揮者、佐渡裕氏がタクトを振って京都市交響楽団がマイスタージンガー前奏曲を演奏。その際には、思いがけずもドーム屋根の音響効果の素晴らしさを実感したサポーター達が感激の涙を流したということです…
 さて、そんなことを言ってるうちにコトノちゃんとパーサくんはもうJR山科駅上空。新スタジアムへは、この地下にある地下鉄山科駅から北へ向かって傾斜のついたトンネル内を進む新設の大型ケーブルカー「サンガライナー」(試合開催時には三分間隔で運行)に乗って五分間の道のりとなるのだけれど、二羽はもちろんこのまま空路を行きます。
 やがて前方に、鏡の国でコトノちゃんが探して見つからなかった場所…四条河原町から見て『東』に位置する辺り…山の緑に囲まれた中、浅い谷底に蓋をしたような形の巨大な建造物が見えてきました。
 新スタジアムです!
 夕暮れのほの赤く染まった空を映して輝いているのは、大屋根にびっしりと敷き詰められているサンガスポンサーKC社製のソーラーパネル。コトノちゃんとパーサくんがそのほぼ上空まで来た時、ソーラーパネルの中央に切れ目が生まれ、大屋根が開き始めました。
 開くに従って次第にボリュームを増す両チームサポーターたちの歓声。そして大屋根の切れ目から見えてくるのは、カクテル光線に照らされた目に鮮やかな芝生の緑…
 「パーサくん、あったよ!」
 「えっ、何が?」
 「だから、新スタジアム!…ああ、あって良かったワ。鏡の世界でいくら探しても見つからなかった時は、あたしどうしようかって、途方にくれちゃったんだもの!」
 二羽の鳳凰はそのままピッチに向かって下降。その様子がオーロラビジョンに映し出されると、満員のスタンドからは大きな拍手が沸き起こります。
 新スタジアムは全体の外観としてはクレーターのへこみに沿った長円形をしていますが、その内部はというと、この年、新たに経営幹部に就任したK氏のこだわりから、ピッチに至近の一層のスタンドがサイドとゴール裏にきれいに区分された長方形となるイングランドスタイルを取っていて、観戦の楽しさは文句なし。
 メインスタンド中央の三十四度急勾配の頂点に見えるのは、重厚な台座の上に据えられた、2メートルはあろうかと思われる鈍く輝く鳳凰の像。天に向かって羽を広げ、戦う意志の激しさを感じさせるポーズをとっていますが、これが何と、このスタジアム建設のきっかけとなった隕石(隕鉄)の燃え残りの形そのままを展示しているというのですから驚きです。
 屋根が完全に開き切る頃には辺りもすっかり暗くなり、長円形に切り取られた夜空には、天頂辺りに位置するしし座を筆頭に春の星座が静かに輝き始めました。
 そしてゴール裏からメインスタンド、バックスタンドまでを巻き込んで湧き起こるサンガサポーターの大合唱、
 
  さあ行こう、紫の、誇りを胸に、戦おうぜ
  ついてるぜ、俺達が、京都の力、見せてやれ!
 
 対戦相手は天敵川崎フロンターレ。歌声がパラボラ曲線を描く大屋根に反響してスタジアムを包む中、強敵を迎えて奮い立つ選手達の心を更に鼓舞するかのように、サポーター達に支えられ、ビッグフラッグがゴール裏スタンドをゆっくりと上っていきます。
 ファンファーレが鳴り響くと選手入場。パーサくんとコトノちゃんはピッチを退いて、メインスタンドに用意された特別席に腰を落ち着けました。
 「いよいよ川崎戦だね、今日こそはこれまでの借りを返してやらなくっちゃ!」とパーサくん。
 主審のホイッスルでキックオフ、早速繰り広げられるマギヌン選手とチアゴ選手の激しいマッチアップ。チアゴが軽く奪って秋田選手にパス、ここから前線にボールが出されると、次の瞬間、サンガの各選手がお互いの動きを感じあってひとつの生き物のように走り始め、うねるようなスタンドの歓声がそれを追いかけます。箕輪選手を振り切っての徳重選手のセンタリング、そこへ飛び込んだアンドレ選手のヘッドは惜しくもキーパー川島選手に阻まれますが、川崎のお株を奪うようなパープルサンガの速攻、その美しい攻撃の流れに、スタジアム全体から割れんばかりの拍手が湧き上がりました。
 「うん、いいサッカーしてるぞ、その調子!」
 パーサくんの言葉にコトノちゃんもすかさず頷きます。
 と、その時、
 「でも、鏡の向こうのサンガは、まだ今ひとつ調子が出ないんですよね…」
 ふたりのそばでそんなつぶやき声がします。それはどこかで耳にしたような聞き覚えのある声でした。見るとふたりの隣、ちょうどコトノちゃんの横のシートに、いつの間にか黒いマントを羽織り、鏡のように光るサングラスをかけた男の人が座っています。
 「あっ、あなたはミスター・ミラック!」
 マントの男はこちらを向いてニヤリと笑うと、
 「そう、私はミスター・ミラック。肩書きのマジシャンというのは実は世を忍ぶ仮の姿で、その実体は現実と鏡の国とを自在に行き来できる時空の旅人なのです。ほら、これを見てごらんなさい」
 そう言ってマントの下から二枚の手鏡を取り出し、九十度に組み合わせてふたりの方に向けました。
 「あ、これ、西京極だワ!」
 手鏡の奥には、まるでパソコンの動画みたいにサッカーの試合の様子が映っています。しかもそれはこの新スタジアムではなく、現在は専用陸上競技場に改修されているはずの西京極スタジアム。戦っているのは濃い目の紫に少し赤や黒の混じる見慣れないユニフォームを着た京都サンガと、対戦相手の徳島ヴォルティス。サンガは再三、徳島陣内に攻め入ってはいますが前線の連携が今ひとつで得点を奪うには到りません…と、逆に一瞬の隙を突かれ、徳島、羽地選手にヘディングを決められてとうとう失点…。
 コトノちゃんが訊きます。
 「ミラックさん、これってビデオなの?」
 「いいえ、これはもうひとつの世界で今現在行われている試合の様子です。どうやら今日も京都サンガFCの調子はあまり良くなさそうですね」
 「えっ、京都サンガFCって…じゃあやっぱり、あたしが昼間に見たあの鏡の向こうの世界は本当にあったものなのね。でもどうして互いに良く似た世界がふたつ、あるのかしら…」
 ミラックさんは暫くうつむいたまま無言でいましたが、決心したかのように顔を上げるといいました。
 「それなんだけど、コトノちゃん、一年前に何かこの世界の秩序に亀裂が生じるような出来事で、思い当たることはないですか?」
 「エッ、今日の一年前って言うと…あれはちょうどサンガがサンフレッチェ広島と対戦した日だったワ。そしてその試合の後、あたしは過去の世界に行ってしまった…」(作者注…前作『戦国サンガ隊』を参照してください)
 「そう、実はその時なんです。その時、コトノちゃんたちのタイムスリップが引き金となって、この世界を形作っている時空にとてつもないエネルギー変動が起きて亀裂が生じ、その瞬間から世界…いいえ、宇宙全体は違う未来を持った二つの宇宙に分裂してしまったんですよ」
 「ふたつの宇宙…」
 何だかコトノちゃんには想像もできないお話になってきました。
 「信じられないワ…でも、ねえミラックさん、もしそれが事実だったとしても、そのふたつの宇宙って、もちろんいつかはまたくっついてひとつにもどるワよね?」
 コトノちゃんの問いかけにミラックさんは何故か口ごもります。
 「ええ、それなんですが実は…」
 ミラックさんが言いかけた時、
 アアーッ!
 スタジアム全体が大きな悲鳴に包まれました。
 見るとピッチ上は何ともう前半のロスタイム。しかも川崎ジュニーニョ選手がチアゴ選手の横を巧みに抜いてキーパー上野選手と一対一に。そしてコースを狙ったシュートを放つ!…しかしここは上野も上手く読んで横っ跳び、倒れこみながらも右手一本でボールをかき出す。これをすばやく戻った三上選手がクリア、直後にホイッスルが吹かれて0対0のまま前半が終了しました。
 気が付くとふたりの横にはミラックさんの姿はありません。
 「あれっ?ミラックさん…私たち夢を見ていたのかな?」
 でも、ふたり一緒に見る夢なんてあるのでしょうか?
 何だか狐につままれたような気分のまま二羽の鳳凰はハーフタイムのアトラクションへと飛び立ちました。
 今日のアトラクションは京都市内十数校の大学からやってきたチアリーダーたちによる大掛かりな合同演技。その中央に降り立ってスタンバイするパーサくんとコトノちゃん。
 と…、
 「あ、コトノちゃんがふたりいるぞ!」
 「ほんとだ、ひょっとして、新しい双子のキャラクターなのかな?」
 そんなざわめきがスタンドから聞こえてきます。辺りを見まわすと、これはどうしたことでしょう、配置に付いたコトノちゃんに二十メートルほど離れて、ちょうど向かい合う位置に、まるで鏡に映ったかのようにもうひとりのコトノちゃんが立っています。
 「あっ、あれは、あたし…?」
 コトノちゃんはびっくり。思わずそばまで駆けて行って、もう一人の自分と向き合ったのでした…
 
 ハーフタイムが終わって、ふたりのコトノちゃんが仲良くならんでメインスタンドに引き上げます。
 「ああびっくりしたワ。でも、お客さん、大喜びだったね」
 パープルサンガのコトノちゃんが言うと、
「びっくりしたのはあたしの方だワ、こんなすごいスタジアム、見ただけでもビックリなのに、そこにあたしそっくりのあなたがいるんだもの!」
 と、こちらはサンガFCのコトノちゃん。
 ハーフタイムにピッチの中央で出会ったふたりのコトノちゃんは、驚いている間もなく、チアリーダーたちに混じって演技。この即席の双子競演がスタンドのお客さんに結構受けて、何だかよく分からないままに演技を終えると、ふたり一緒にメインスタンドへと引き上げてきたのでした。
 「ねぇ、ひょっとしてあなたは鏡の向こうの世界の…?」
 「えっ、じゃあ、あなたはやっぱり鏡の向こうの世界の…?」
 同じようなせりふを言いかけて、ふたりは顔を見合わせ大笑い。余りの出来事にこれはもう試合観戦どころではありません。応援はパーサくんにおまかせてして、ふたりのコトノちゃんは、この日自分たちの身に起こった出来事についての情報交換を始めました。その結果分かったことは…
 この日の朝、サンガFCのコトノちゃん(以下FCコトノちゃんと呼ぶことにします)は、パープルサンガのコトノちゃん(以下パープルコトノちゃん)と同じく、「コトレポ」の取材のために四条河原町へ飛び立って、途中、京都駅ビルの前で鏡の世界へと引き込まれます。そのあと、高島屋前でスタッフのおじさんと話した結果、パープルコトノちゃんは、皆さんご存知の通り新スタジアムを探しに東へと飛びますが、逆にFCコトノちゃんの方は西京極へと飛んだのでした。そして、すっかり陸上競技仕様に改修されてしまった西京極のスタジアムを前に途方に暮れているところを、近所に住むサンガサポーターのおじさんに声を掛けられて、そのままこの新スタジアムに連れてきてもらったというわけなのです。
 「じゃあ、あなたの世界では、あの隕石の落下はなかったのね?」
 「うん、あなたの世界ではチーム名もエンブレムも変わらなかったのね?」
 「じゃあ、あたしたち、細かいところが少しずつ違う、異なった宇宙の住人なのね?」
 「でも、あたしたち、ホントはひとりなんだから、だからきっと、また合体してひとりに戻って、宇宙もまたひとつになるに違いないワ」
 ふたりでそんな会話を交わしていると、
 「いいえ、宇宙が合体するという事は決してありません」
 背後からそんな声が聞こえてきました。
 振り向くとそこには再びミスター・ミラック!
 「むしろ合体などしたら大変なことになりますよ。ふたつは似て非なる宇宙、言って見ればプラス・アルファとマイナス・アルファという関係です。プラスとマイナスを足せばゼロになるように、ふたつの宇宙が合体しようものなら、その瞬間に、どちらの宇宙も跡形もなく消滅してしまうことになるでしょう」
 ミラックさんの言葉に、ふたりのコトノちゃんは背筋がゾクゾク。
 「じゃあ、合体しないままで…」
 「ふたつの宇宙は続いていくの?」
 ふたりのコトノちゃんの問いかけに、ミラックさんはゆっくりと首を振りました。
 「いいえ、今言ったように宇宙がふたつあることはとても危険なことなのです。それに、実はふたつの宇宙といっても、一方のもととなる宇宙に対してもう一方はそこから生み出された幻の宇宙。だから、幻の宇宙の方は時期が来れば泡のように自然に消えてしまうのです。そして宇宙はまたひとつに戻ります」
 さあ、これは恐ろしい話になってきました。ふたりのコトノちゃんはしばらく無言でいましたが、意を決してミラックさんに訊きます。
 「その、消えてしまう方の…」
 「幻の宇宙って…」
 「一体…」
 「どちらの………」
 ミラックさんはなかなか口を開きません。そしてやっと開いた口から出てきた言葉はこんな質問でした。
 「ふたりとも、両方の世界を知ってるわけですよね。では両方の世界を見て、些細な事ではあるんだけど何か決定的に違っている『あること』に気がつきませんでしたか?」
 「ふたつの世界で…」
 「違ってること…?」
 「ああ、そういえば…」
 「こちらの世界の…」
 「空気には…」
 「ほんの少し…」
 「青い色がついてる」
 ミラックさんがうなずきます。
 「そう、こちらの世界にはうす青い色がついていますね。でもこれは空気の色ではありません。こちらの宇宙そのものの色なんです。鏡をのぞいた時、その向こうの世界は少しうす青く見えるでしょう?それは鏡の薬品が塗られているガラス本体にわずかに含まれる酸化鉄のためなんですが、ということは…もう分かったでしょう。鏡の中の世界、幻の宇宙はうす青い色がついている方の宇宙、即ち今、新スタジアムでJ1パープルサンガが熱戦を繰り広げている、こちらの宇宙なのです」
 これを聞いてパープルコトノちゃんはもう気を失いそう。
 「えっ、でも、でもこんなにたくさんの人がいるのに…パーサくんもあたしもパープルサンガの選手たち、サポーターの人たちも…誰も彼もみんな消えてしまうっていうの?それは一体…いつ?」
 ミラックさんが気の毒そうな顔で言います。
 「ええ、それは幻の宇宙が生じた日から数えてちょうど地球が太陽の周りを一周した時です…即ち幻の宇宙出現の日から約一年後、正確には三百六十五と四分の一日後ですね。コトノちゃんが過去に旅立ったのが昨年サンフレッチェ広島戦の終了後すぐ、ということはちょうど一年前の今日の夕方ですから、その時刻から四分の一日後…つまり今日の深夜にこの宇宙は消滅します。私は時空の旅人。今日私が現れたのはこのことを見届けるためでした。そして私は時空の番人。一年前、宇宙がふたつに分かれた時から、既にこの幻の宇宙の運命は決まっていた…いいえ、J1でパープルサンガが快進撃を続けているこの宇宙こそ、当時のサンガファンの強い願いがコトノちゃんたちのタイムスリップという異常なエネルギー変動と反応し、時空の分裂を招いて形作られたまさに『幻』そのものだったのです。私はこの一年間、そんなふたつの宇宙を行き来しながら両方の宇宙の動きを見守り続けました。そして実は私はこっそり、どちらがもとになった宇宙であるかを示すための目印を、サンガの名前に刻んでおいたのです…私は向こうの宇宙に住むサンガ関係者の潜在意識に働きかけて、チーム名を変えてもらいました…『もとになった宇宙(Fundamental Cosmos)の京都サンガ』即ち『京都サンガFC』と…」
 試合は後半四十分を過ぎて両チーム一歩も譲らずの0対0。ピッチ上では、倉貫選手が川崎のディフェンダーふたりに囲まれながらも、狭いところを抜いて放ったシュートがわずかに逸れてサイドネットを揺らし、スタンドが大きく沸いています。カクテル光線に照らされた芝生の鮮やかな緑とその上を生き生きと躍動する選手達の紫。これらがすべて幻で、もうほんの何時間かすれば泡のように消えてしまう…
 すべてを語り終えたのか、ふたりのコトノちゃんのそばにはもうミラックさんの姿はありません。
 「応援しようよ!」
 パープルコトノちゃんが元気よく言います。
 「パープルサンガの最後の試合、思いっきり応援しよ!そして試合が終わったらすぐに、サンガFCのコトノちゃんを元の世界まで送ってあげなくっちゃ、ね!」
 パーサくんも大きく頷いています。
 さすがに複雑な表情なのはFCコトノちゃん。
 「でも、あたし…あたしだけが助かるなんて…」
 そんなFCコトノちゃんの言葉をパープルコトノちゃんがさえぎりました。
 「さぁ、もうそれ以上は言いっこなし!それよりピッチに集中、集中!」
 ピッチ上では川崎が中盤でボールを奪いジュニーニョから中村憲剛、マギヌンとつなぎます。直後に打たれたマギヌン選手のシュート球はキーパー上野がパンチング。これを拾ったのは、後半の早い時間に体を張ったプレーで負傷退場した秋田に代わって出場の森岡選手、前線に蹴り出したボールを斉藤選手が胸トラップ、素早く振り向き意外性たっぷりのミドルシュートを放つも、惜しくもわずかにバーの上。そして試合は三分間のロスタイムに突入します。
 「うーん、このままドローになっちゃうのかな…」
 パーサくんがそんな弱気な言葉をもらしたその直後でした。
 サンガの職人、石井選手の奪ったボールが細かいパスワークで前線に送られ、これを裏に抜け出したパウリーニョが受ける、そして放たれた絶妙のクロスを徳重選手がヘッドで合わせると遂に川崎のゴールネットが揺れたのです!
 新スタジアム建設のきっかけとなった隕石のシャープな弾道を思わせる目の覚めるようなゴール!そして間もなく、ピッチに試合終了の長い笛が鳴り渡りました。
 「やったーっ!ついに川崎に勝ったワ!」
 抱き合って喜ぶふたりのコトノちゃん。
 パーサくんも周りのサポーターたちとハイタッチ、そして握手、握手!新スタジアム全体が今や興奮のるつぼと化しています。
 でも、三羽の鳳凰たちにとってのお祭りはここまで。
 「さぁ、サンガFCのコトノちゃん、急がなくっちゃ!」
 そうです。試合の余韻にゆっくり浸ってなんかいられません。幻の宇宙消滅までもう時間はいくらもないのです。ふたりのコトノちゃんとパーサくんはメインスタンド下の関係者用通路を抜けて出口へ急ぎます。
 と、背後から野太い声が、
 「コトノちゃん、向こうのサンガFCの皆によろしくな!」
 振り向くとそこには、先ほど負傷退場し、今は足にテーピングをしている秋田選手が立っています。そしてその後ろに現れたのは、満員のスタンドへの挨拶を終えて引き上げてきた美濃部監督とパープルサンガの選手達。
 「今朝、ミラックさんから何もかも聞いたよ」
 美濃部監督が言います。
 「だから私は午前のミーティングの時、選手達に訊ねた。この宇宙が消滅するまでの残された時間を、今から帰って家族と静かに過ごすか、それとも京都パープルサンガの選手として最後の試合に臨むかって。誰もがこの試合に出ることを希望してくれた。だから今日、スタジアムには選手達の家族や友人もみんな来ている。そして幸いなことに、我ら京都パープルサンガは、この最後の戦いを勝利で終わることが出来た!」
 指揮官の言葉を聞きながら誇らしげに目を細めたのはキャプテン斉藤選手。激しかった試合の名残りのように、ひたいの汗がきらきらと輝いています。
 「さっきミラックさんに教えてもらったんだ。もしこれでこの宇宙が終わるとしても、今日の勝利は決して無駄にはならないって。なぜなら今日ここで起こったことは全部、もとの宇宙で今、苦しいJ2リーグを戦っている京都サンガFCサポーターすべての夢の中に、いつの日か、そっくりそのまま現れることになっているんだからってね。そしてその夢を見たサポーターたちは、この立派な新スタジアムや川崎を下したサンガの姿を見て、きっと心から勇気付けられることになるはずだって…」
 と、耳の奥に何か低い振動音が聞こえてきます。パーサくんが出口から外をのぞくと、夜空の天頂近くに見えるのは赤黒くゆらめく円形の炎。
 「あっ、空が燃えてる!」
 しかもその炎は少しずつ面積を広げて、じわじわと夜空を飲み込み続けています。
 「大変だ、いよいよ宇宙の崩壊が始まった!」
 パーサくんとふたりのコトノちゃんはパープルサンガの選手たちに別れを告げると京都駅ビルを目指して飛び立ちました。
 スタジアム前で森岡選手が大きく手を振ります。
 「コトノちゃん、サンガFCの俺によろしく!」
 それに続いて、他の選手たちも口々に叫びます。
 「きっとJ1に上がるんだぜ!」
 「俺たちがいつも見守ってるからな!」
 そして最後に耳に入ったのは秋田選手の発した大声、
 「大丈夫!あいつらなら…俺たちの分身のサンガFCなら、きっとやってくれるに決まってるさ!」
 
 その十分後、京都駅ビルに到着した三羽の鳳凰たち。
 「だめよ、あたしだけ助かるなんて!」
 垂直に角度のついた窓ガラスの前で、FCコトノちゃんが駄々をこねます。
 「ね、一緒に行きましょ。三人一緒に鏡の向こうへ!」
 パープルコトノちゃんが言います。
 「だめよ。そんなことしたら、また、ミラックさんが言ってたように、宇宙のエネルギーが変になっちゃうもの」
 炎は今や夜空全体を被い尽くして夕焼けのような明るさ。次第に地面の方へ近づいてきていて、ついには京都タワーの展望台をも飲み込み始めました。
 「じゃ、あたしは残るから、あなたが代わりに向こうへ…」
 「だめ!何言ってるの、あなたが帰るのよ!」
 そんな押し問答の中、突然、片方のコトノちゃんがもう一方のコトノちゃんを窓ガラスの方へドンと突き飛ばしました。
 「ああっ、何するの!」
 突き飛ばされた方のコトノちゃんはガラス窓の奥へと消えます。そして次の瞬間、幻の宇宙は一気に燃え上がって、時空の彼方へと巻き去られました。
 宇宙は再び、もとのひとつに戻ったのです…
 
   ☆       ☆       ☆
 
 さて、場面は変わってこちらは元の宇宙の二〇〇七年三月二十一日、徳島ヴォルティス戦の夜。
 西京極のスタンドで観戦するパーサくん(もちろんFCパーサくんの方)の心の中は、昼過ぎからずっと行方知れずになっているコトノちゃんのことでいっぱいです。試合は前半0対1とリードされていた京都サンガFCが、後半四十分に得たPKをパウリーニョ選手が決め、かろうじてドローに持ち込みますが、パーサくんにしてみればとても応援どころの騒ぎではありません。そしてその深夜、京都駅前バスターミナルの屋根の上で、気を失って倒れているコトノちゃんが発見されました。サンガスタッフが駆けつけ、チームドクターが診察したところでは、軽い脳震盪と同時に記憶も一部混乱しているけれど、特に深刻な状態ではないとのこと。駅ビルの窓にぶつかって頭を打ち、そのまま夜まで気を失っていたらしいということで、コトノちゃんの行方不明事件は一件落着となったのです。
 ところでサンガファンである皆さんは、この徳島戦以後も、コトノちゃんが試合前やハーフタイムに、西京極に来ているチビッコたちに愛嬌を振りまいている姿を何度も目にされたことでしょう。そして、この物語をここまで読んで下さって、こう思っておられるかもしれませんね…あの姿は今までのコトノちゃんそのままのような、でもどこかちょっと違うような、一体あのコトノちゃんは『FCコトノちゃん』なのか、それとも『パープルコトノちゃん』なのか、あの最後の瞬間にこの宇宙に押し出されたのは果たしてどちらのコトノちゃんだったのかと?
 その疑問に関しては、作者である私はとりあえず、「どちらのコトノちゃんでもあります、強いて言うならその両方」と答えておきましょう。
 いいえ、コトノちゃんだけではありません。パーサくんも、美濃部監督やサンガFCの選手たち、そしてサンガを愛する我々サポーターもすべてが両方…あの消えてしまった宇宙の分身、鏡の中の仲間たちと一緒に、今、苦しいJ2リーグを戦っているのです。だから今は厳しい状況だとしても、いつかサンガを愛する全ての人達の力がひとつになる時には、念願のスタジアム建設、そしてJ1昇格・定着もきっと、間違いなく実現するに違いありません。
 何しろ我々は二人分、二倍の力と二倍の思いを持っているのですからね!
 
 では最後に、やっぱりどちらのコトノちゃんか気になる人のためにヒントを出しておきましょう。
 
 「六、七、十九、二十四、七、十九」のはじめの文字を読め!
 
 …がヒントです。
 
 エッ、「ろ、な、じ、に、な、じ」ですって?
 違いますよ。
 サンガファンのあなたなら絶対分かるはずなんだがなぁ…
 
                         (終 わ り)